愛 を 乞 う 人 ヤンデレイザビッチ 世間一般には眉目秀麗と呼ばれるであろう造形美に満ちた相貌を、溶かしたガラスみたいにぐちゃぐちゃにして、臨也は笑っていた。 「来ちゃった」 語尾にハートか星でも散らすようにふわりと宙に浮いた声は、水分を失った葉のように擦れている。 門田は眉を寄せた。 「オシゴトで池袋来たんだけど終電逃しちゃってさぁ、せっかく化け物に遭遇せずに済んだのに参っちゃうよねえ。泊めて?」 門田は臨也が新宿に本拠を構えながら、都内のあちこちに隠れ家を用意しており池袋だって例外ではないことを知っていた。 そういう臨也が、何だってわざわざ門田のもとを訪れたのか、門田は考えた。―――上目遣いに見る臨也のコートから覗く、首筋の赤い斑点を眺めながら。 「寒いから中に入れてくんない?」 白いはずの頬には僅かに熱の色が浮かんでいた。 「なぁに、ドタチンてば夜中に押し掛けたから怒ってるの?いつからそんなケツの穴のちっちゃい男になっちゃったの、俺悲しい!」 けたけたと、軽やかすぎる笑い声が、玄関先に響く。 「ほら、もちろんタダとは言わないからさ。今日は臨時収入もあったし」 そういって、細い指先が差し出す数枚の紙幣。ぐちゃぐちゃになるまで強く握りしめられていた。 門田はその手を掴んだ。 「ドタチン?」 きょとんと首を傾げるあどけない仕草が似合いすぎていた。臨也はその自然体を、時々いかにもわざとらしく皮肉のように演じて見せる癖があった。心にメッキを施すことに、慣れすぎている。 指が一回りしても余りある頼りない手首には、門田のものではない手のあとがあった。 パシン。 臨也の頬が、片側だけ不自然に赤くなった。驚いた表情で弾かれたままの方向を見た臨也は、門田に捕まれていないほうの手で、そっとそこに触れた。 見開かれた瞳から、ぼろっと大きな雫が落ちた。 どん、と門田に体当たりする勢いで胸にしがみついてくる。服越しに、じわりと染みる生温さを覚えた。 「ドタチン、ごめんなさい…っ」 うわぁあぁあと慟哭のように溢れだした泣き声は、恐らく近所迷惑になるのだろうが、門田はそれを咎めはしなかった。 震える背中を抱き込むように内側に引きずり込んで、ドアを閉める。明日、大家さんに謝りにいこう。 形のよい丸い後頭部をくしゃりと撫でてそっと顔を上げさせると、臨也は砕けたガラス細工のようにきらきらと光る涙を溢しながら、門田に縋りついた。 「おまえは馬鹿だろ」 自分ごとのように痛む胸のままに臨也を責める声に、怒りはない。 「うん、俺もドタチンのこと大好きだよ」 背丈の割にこじんまりした顔に、大輪の花を咲かせて、臨也は笑った。 高校時代から臨也は何故か門田に懐いていたが、しかし仲がいいとは間違っても互いに思っていない。 普段は顔を合わせても挨拶くらいしかしないくせして、臨也は時おり思い出したかのように甘えてきた。それは高校を卒業しても変わらない習性らしく、ときどき何の前触れもなくたとえば今日みたいな感じに、教えた覚えもない自宅に押し掛けてくる。あの頃は、屋上か図書室だった。そこにいれば、臨也はやってきた。待っていたつもりはない。 臨也が善からぬことをしていると知っていて、門田は臨也を止めようとはしなかった。 善からぬことをする臨也を止めないと知っていたので、臨也は嬉々として自らの悪巧みを門田に語った。 善からぬことと楽しそうに語る臨也の笑みが嫌いではなかったので、門田は止めようなどとは思わなかった。 悪趣味な悪循環には、気付いていた。 ある日、臨也はいつものように門田のいる屋上に来た。約束もないのに「お待たせ」と臨也は笑う。待っていたわけじゃない。ただ、臨也がお待たせなどと言うので、門田はそこにいないといけないような気になっていた。それも、臨也の手の上かもしれない。 その日の臨也はいつものように膝に乗り上げることもなく、今日はシズちゃんにねと自分の武勇伝を語るわけでもなかった。 三枚ほどの紙幣を取り出して「ラーメン食べにいこうよ」と言った。その手首に誰かの手のあとがあって、見上げたために晒された喉元に、赤い跡があった。―――そう、今日とまるで同じ。 目を見張り呆然と言葉を失った門田に、臨也は「売っちゃった」と極めて軽い口調で言った。 門田は初めて、臨也のすることを嫌だと思った。気が付いたら、掌にじんとした痛みが響いていて、臨也は頬を赤くして泣いていた。 「ごめんなさい」 それから臨也は、今まで見せたどれとも違う、ふわりとして甘い匂いのするマシュマロのような笑みを浮かべたのである。 母親を見つけた子供の眼差しだと、思った。 臨也は門田に愛されたがっていて、門田は臨也を愛しているのだと、そのときに気が付いた。 「もう二度と、自分を大事にしない真似をするんじゃない」 その約束はもう、何度破られたか知れない。高校のときから卒業して今に至るまで。 臨也にしてみれば破るための約束だ。否、破るつもりはないのだ。うん、と素直に頷いて小指を絡めるときには、今度こそ守ろうといつも誓っているのだけれど。 臨也は赤くなった頬に触れる。痛かった。凄く、凄く痛かった。 でも、その頬を叩いた門田の手はもっと痛かっただろうし、臨也が泣いた以上に門田は悲しかっただろう。 (愛されてるなぁ) 慣れぬ歓びに、胸が悲鳴を上げている。 満たされるのと同時に渇いていくようだと、思った。 ブラウザバックプリーズ |