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ただのドタイザ





酒は百薬の長。
なーんて昔から言うけどさ、それってアル中の言い訳でしかないと思うわない?
だってそうでしょ。酒で風邪が治ったら医者なんて職業はいらないし、新羅なんて存在価値がないわけだ。ケガのときに酒なんか飲んだら血流がよくなって出血酷くなるし、熱は出るし、薬飲むと吐き気するし。
まあ感覚は鈍くなるから、痛み止めって意味ではいいのかな。ちんこもたたなくなるけどね!あはは!
しかも美味いもんだとは思わないんだよねえ。美味しい酒の味はわかるけどね、俺が美味しく感じるかって言うと話は別。ワインも料理酒もエタノールも、所詮ただのアルコールに変わりないでしょ。ありがたがる意味が分かんない。
まあ俺の職業柄、取引で酒の席もよくあるし、酔った人間が見せる本性も面白いから、俺だって人並み程度には飲めるつもりだけどね。あくまで嗜む程度ってやつ? 好んでは飲まないよ。
だいたい、どんなに強くてもどんなにウコンを飲んでも、酒を飲めば自然と思考力は低下するし、度が過ぎればそれこそ失態も晒すし、情報屋の俺としてはこの明晰な頭脳が一ミリでも働かなくなるのは致命的なの。いや、文字どおりね。ちょっとぼーっとしたら、一瞬あとには海の藻屑かもしれないんだよ、俺なんか。ま、そんなダサい死に方は絶対しないけどね。だって俺は無敵素敵な情報屋さんだもの。でももったいないね、酔っぱらってる時間は実に人生の無駄だと思う。
あーやだやだ、酒なんて百害あって一利ないね、あんなもん。何で好きとか言う奴がいるのか、不思議だよ!

―――と、やや舌足らずにまくしたてるマシンガントークの間にも、臨也の手は白字のラベルに黒の墨で達筆な文字が走る一升瓶から空っぽの猪口へ、酒をとぷとぷと注いでいた。
 透明度の高い液体は、しかし仄かに甘みのある芳醇な香りを漂わせている。
 美味いはずの酒が、舌の上で苦々しく広がる気がして、門田は眉を顰めた。
「……悪かったな、付き合わせて」
 酒を飲みながらする話じゃないだろう。空気を読めと言いたい。
 一升瓶がそろそろ半分空きそうなのだが、飲んだ半分のうちの更に半分は確実に臨也が消費している。
 臨也はビールのように煽っているが、その酒を転売したら定価の十倍になることを知っているのだろうか。門田はもったいなくて、最初に見たときは手が震えた。そして一気のみなんてもったいなくて、ちびちびと飲んでいる。
「え? 何でドタチンが謝るの。誘ったの俺じゃん」
 一瞬にして空っぽになった猪口をコンとテーブルに置いて、味噌とゴマ油の風味が豊かなどんこに箸を伸ばしながら、きょとんと首を傾げた。しぱしぱと瞬く瞳がやや赤くうるんでいるのは、酔っ払いの証しだ。
 テーブルの上にはいくらとめかぶとアワビの海宝漬やらアボガドとチーズのサラダやらぼんじりの唐揚げやら鴨の治部煮やら、その他もろもろ…所狭しとつまみが並んでいた。聞けばほとんどが手作りだというから驚きだ。
 酒が嫌いだという割に、つまみのレパートリーは多い。それに、この当たり前のように出された猪口だって、有田焼の一級品だとか自慢していて、その辺の居酒屋で飲むのとは口当たりが変わる。酒器の数も充実していた。
 臨也と酒を飲むことは、あまり多くはない。門田から誘うことはほとんどないし、臨也が門田を誘うときは、大抵が今日のように偶然手に入ったお酒の処理という名目だったりする。
 新宿の高級マンションに根城を構えて、門田でもわからないくらい隠れ家を持っている臨也は当然金があって人脈もあって、そんな臨也が貰うお酒も、当然のように門田のような庶民では滅多に手に入らないものが多い。
(しかし、酒嫌いだったとは知らなかったぞ)
 少し機嫌が悪くなるのは、まぁあれだ―――何だかんだ言いながらも臨也と飲むのを楽しんでいる自分が、ちょっと虚しくなったからだ。
「お前は酒の文句を言うために、俺を酒に誘ったのか」
「違うよぉ〜。前にドタチンが好きだって言ってたお酒を、たまたま偶然取引先から貰ったから、やっさしい俺が分けてあげようと思ったんじゃないか。どう?優しいでしょ俺、惚れちゃうでしょ?愛しちゃうでしょ!?アッハ!俺も愛してるよドタチーン!」
「…とりあえず臨也、仕事で酒飲むのはやめろ…」
 何故二人で飲みながら、広いソファがカップルシート状態になってるのか。
 さっきから、キャバ嬢かよと思うくらいべったりと身体を寄せた臨也が、あからさまに太股やら腕やらに手を這わして甘えてくるのだから困る。何が人並みに飲める、だ。門田は酔いではなく、頭が痛くなった。
 臨也は門田の肩に頭を預けて、ぐりぐりと猫のマーキングのように甘えながら、まだ飲みかけの門田の猪口に酒を注ぐ。
 勢いよく注ぐものだから、簡単に溢れて門田の手にかかった。
「こら、臨也!」
「ドタチンの手、びしょびしょだねえ。お酒もったいないなぁ」
 なんて笑っていいながら、ぺろぺろと門田の手を舐め出す。
 生ぬるい舌が指の股を這う感覚に、ぎょっとした。
「臨也…おまえなぁっ」
「すっごいいいお酒なんでしょ? 一滴も無駄にしちゃダメだよ。俺は無駄がだぁい嫌い!」
「確かにこいつはいい酒だ。だが、おまえが一気飲みしてるのも、かなりもったいない」
「ドタチン、このお酒好き? 気にいった?」
「はいはい好きだよ。だから俺に譲れ。もうお前は飲むな」
「んもう、ドタチンに好きって言わせるお酒に嫉妬しちゃうっ。俺のことも好きってゆってえ〜」
「ああもう黙れ酔っ払い」
 うざい、うざすぎる。はぁ、とため息をついて、一口ちびりと飲む。ああ、酒は上等なのに。
 臨也の手から瓶と猪口を引っこ抜いて、代わりに水のペットボトルを渡してやると、臨也はぷぅ〜と頬を膨らませ、唇を尖らせてわざとらしく拗ねて見せた。
「ドタチンてばつめたーい」
 非難するように言いながら、臨也の声は弾んでいた。
 トン、と肩に触れる柔らかい重み。…重みと言うのも憚られるほど軽い。臨也は門田の肩に身体を預けながら酒を口に運んで、うふふ〜と夢見心地な笑みを浮かべる。
「ドタチンってさぁ」
 臨也の声のトーンが変わった。まどろむような声はそのままに、やや掠れた声が幾分低めに響いた。
「すいりしょうせつを読んだら、最後まで犯人が分からないタイプのにんげんでしょ」
 臨也はペットボトルの水に口を付けて、けれども飲んでいる雰囲気はなく、淵のあたりに唇を這わせながら、ぼんやりと呟いた。
 酒を飲むときはそれ以上に水を飲まないと次の日に響くというのに。
 透明なボトルの中で、透明な水がたぷんと揺れる。そのゆらめきを、眺めるでもなく眺めていた。
 門田は臨也の顔を見た。
「は? なんでいきなり話が」
「読解力なさすぎじゃないの。俺、お酒飲んでも酔ったりしないタイプなの」
 全く話を聞いていない。鼻歌のような甘ったるい声で、ところどころ舌足らずになりながら、ぽやぽやと言葉を発する臨也に、律義に返事をしてやるのは実に馬鹿らしい。
 実に馬鹿らしい……が、そういう馬鹿をやる律義な男が、門田京平なのである。
 肉付きの薄い、時折不健康にも見える白い頬が、このときは花が咲いたようにほんのりと色づいていた。それは、酒の所為だと思っていた。
「今のおまえのどこを見れば、信用できるのかと」
「俺はね、酔った人間の見せるほんしょうは割と好きだし、たしなむ程度には飲めるんだけどね、人を酔わせて思考力を低下させる酒はがいあくだとおもってるし、酒に酔ってる時間は人生のむだだとおもってて、おれのいのちとりになりかねない酒なんか、だぁい嫌いなんだ」
「それはさっきも聞いた。だから無理して飲むなって何度も言ってるだろう」
 いい加減零しそうだと思って、臨也の手からペットボトルを抜き取ろうとした手を避けられて、肩に触れていたぬくもりが突然離れた。 
 その拍子にペットボトルの口から、たぷんと波打った水が跳ねて零れる。
 そして臨也は、膝の上に乗り上げて身体を一気に寄せてきた。
「でも今、すっごい酔ってんの。ふわふわなの、気持ちいの、わかる?」
 水を張ったような艶のある目が、きっと釣り上がった。しかし、全く迫力はない。
 思わず、は…と目を見開いた。
「酔った人間の見せるほんしょうは割と好きだけど思考力を低下させる以下略…とにかく酒嫌いな俺だけど、俺からわざわざ誘ってドタチンと飲んでるんだよ。おつまみ美味しいでしょ、お酒嫌いだけどこんなに作れるんだよ俺。すごいでしょ、たのしいでしょ、おれがどんだけドタチンのこと大好きだと思ってるの。ほんとドタチンてニブチンなんだからぁ」
 ピンッと額を弾かれて、ごろんと膝の上で胸元に甘えてくる。最早手に触れているだけで、ちっとも上下を保っていないペットボトルの水は盛大に零れた。
「は? いや、おまえ、俺が鈍いって……って言うか、おまえいま」
 何か、大事なことを言わなかったか?
 自分も大概、酔っている。確かに酒の力によって、思考力が低下している自覚は、門田にもあった。臨也の言葉に、脳が追いつかない。そもそもこいつは日本語をしゃべっているのかも、怪しかったが、ゆっくりと租借して理解していった。
 目を見開いて、ぽかんとした門田を酔いも回って湿った眼でじっとりと睨み、ますます頬の赤みは侵食し耳まで到達し、ついに臨也は眉を吊り上げた。
「行間を読め!」
 ツンと尖った声は、それでも甘い。
 飲まないうちに量を減らしたペットボトルがついに臨也の手から離れて、ころんと床に転がった。とぷとぷと零れた水を、臨也は胡乱な眼差しで辿る。誰が掃除すると思ってるんだ―――……無論、門田である。
「おい」
 臨也はまどろみ始めていた。
 なぁにぃ、と訊く声は、最早門田の声など聞いていない。臨也は普段から、殊に門田の前ではわざとらしいほどに無邪気で幼い振る舞いをするほうだったが、無防備な姿というものはない。いつだって、どこか張りつめた糸のようなものはあったはずなのだ。
 頭がカーッとなって、全身に血が回った。
 ここで思い出してほしい。
 門田は臨也に付き合って酒を飲んでいて、臨也はこれこのような状態へとなってしまったが、門田はまだ目に見える範囲の理性は残している。
 かといって、門田は特別に酒が強いわけではない。顔に出にくくて、態度に出にくいだけだ。しかし、やっぱり酒は回っている。
 だから、だ。
「行間を読めってお前は言うけどな」
 思わず呟いて、胸に落ちた細身を思わず抱きとめて、うっかり額に唇を寄せていた。理性はすでにログアウトしている。
 くぅくぅと寝息をたてはじめた顔をみれば、白い。臨也の癖だ。酒を飲むとすぐに赤くなる顔は、時間が立つと普段以上に白くなるのだ。
 恨めしくなるぐらい、穏やかな寝顔だ。
「おまえは少し、空気を読むべきだと思う……」
 言うだけ言って寝るなど、反則にもほどがある。

(酒のないときに言えよ、そういうことは!)







その言葉が酒の過ちだなんて、言わせない。



美味しいお酒が手に入りました、という上機嫌のままに。
ドタチンは日本酒派だと思うの。

ブラウザバックプリーズ

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