一 足 飛 び で 辿 り 着 く



今さら卒業式ネタ。モブ少女います。



さわりとまだ蕾もない桜の枝を揺らした風に煽られて、静雄は目の前の靄が晴れたように、あるいは長いトンネルを抜けたように、目が眩むほどの輝く感情に出会った。

折原臨也が好きだ。

それは天地が引っ繰り返って、太陽が西から昇るに等しい。
世界の法則には、犬はワンと鳴いて猫はニャーと鳴くのと同じで、平和島静雄と折原臨也は殺し合うものとある。
静雄はその一瞬前まで、折原臨也が大嫌いだった。
高校入学当初から互いに抱き続けた嫌悪感。顔を見るたびに殴りたくなり、自分の感情がどうしようもなくなる。静雄は暴力が嫌いだったので、自分に暴力を震わせようとする臨也なんか殺したかったし、いつだって殺そうと思っていた。本末転倒なんて言葉は、静雄は知らない。
嫌いなものほど目についた。臨也のいる場所ならすぐに見つけてしまう。目につかなくても、どこにいようがニオイで分かった。静雄はニオイだと思っていたが、ニオイではなく気配かもしれない。
たとえば一年の頃から臨也の計略で不良どもに絡まれたり、壊れた備品などを教師に疑われたりするたび、臨也が仕組んだものと全くの偶然とを嗅ぎ分けることができた。
臨也の嫌がらせであれば、周囲にあのニオイがするのだ。ざわりと腹の底から湧く、吐き気のような殺意と自分が自分でなくなるような、感情と理性を乖離させる、あの感じ。目の前にいる人間を飛び越えて、臨也以外のことが世界から消える。イライラする。我慢などできない。殺してやりたい。
それと同じ感情で今、静雄ははっきりと思った。
「俺も臨也が好きだ」
言ってから、顔が熱くなる。静雄は他人を愛したことなんかなかったので、ひどく恥ずかしかった。
熱のこもったバリトンに甘すぎる言葉を告げられた少女は、目を見開いた。その拍子に大きな瞳に浮かべていた涙がぽろりと落ちると、そのあとは浮いてこなかった。わけがわからないと言った表情である。当たり前だ。愛の告白をしたのは、臨也ではない。少女自身なのである。

卒業式だから。
終わらせたくないから。
ありったけの勇気で、少女は伝えたのである。

――好きです、と。

静雄の目に、今、少女は映らない。吐き気のような殺意と、自分が自分でなくなって感情と理性がバラバラになる、ひどいひどい衝動だけが、愛という名の矢になってただ一人の元に向かった。
言葉にした途端、臨也のことが――嫌がらせしかしてこない最悪な天敵のことが、好きで好きで仕方ないのだと更に強く思う。嫌いだ、死ねと何度叫んだときより、よほど自分の中に自然に収まる言葉だった。
「あ、臨也には自分でいうから気にすんな。……ありがとうな」
静雄は自分なんかを好きだと言ってくれた少女に、少女が好きだと言ったあのぶっきらぼうな笑みを浮かべ、少女の横を風のように通り過ぎて駆け出していった。
静雄にとっては、少女こそが風だった―――愛しい人の、ニオイを運んでくれた。

とても簡単に見付けた。
迷うことなく叩きつけるように開けたのは今日の朝まで当たり前に通っていた教室で、臨也は窓際の後ろから二番目の席に座っていた。今日の朝まで、当たり前に静雄が座っていた席だ。二度と座ることはないだろう。
心臓が痛いような、頭がパンクしそうな、激しい感情の濁流に今にも殺してしまいそうになる。
あのニオイが充満し、呼吸をするたびに全身を侵しぬいた。
好きだ。臨也のことが、たまらなく好きなのだ。
今日の夜にはゴミになる使い込んだローファーで、二度と入ることはないだろう教室に、今一度足を踏み入れた。床がキュッと鳴る音に、細い肩がぴくりと反応する。
「おいこら、ノミ蟲テメエ」
伝えたいことは確かにあるのに、臨也が振り返らないものだから、静雄は言葉を失って苦し紛れに名を呼んだ。
臨也は窓の外を見ていた。
「告白されてたねえ。青春の1ページだね、おめでとう」
ちょいと指で窓の外を示す。その席は外の樹木や壁に邪魔されることなく、他のどの席以上に校庭がよく見えることを、静雄はよく知っていた。静雄が高校生活の最後を過ごした席なのである。
「手前の差し金だろ」
「差し金とは聞こえが悪いね。彼女は隣のクラスの図書委員でね、前に廃棄する本の束を抱えてるところを、シズちゃんが手助けしてくれたって言ってた。アレだよね、素行の悪い不良がちょっといいことすると、凄く良い奴に見える現象だよね。映画版ジャイアンと一緒。君を気にしてたから、俺が相談に乗ってあげてたんだよ」
臨也は外を見ている。春の気配すら見せない桜の木の下には、少女が一人、途方に暮れていた。細い背中がなお小さく見えて、泣いているようだと臨也は口元に狐を描く。
静雄は臨也を見ていた。
いつも追いかけ回していた背中は、こんなに細かっただろうか。胸がきゅうっとなる。
「俺はシズちゃんなんか大嫌いだけどね、彼女のことは愛してる。もちろん人間のひとりとしてね。愛する彼女の恋のため、俺は一肌脱いだだけだよ。最後に告白したいって言うから、台本まで考えてやってさぁ」
臨也が何か言っている。相変わらず、うそばかりで真実など欠片もふくまない下らない話だ。静雄は一度だって臨也の言葉なんかに耳を傾けたことはない。何を言っているのかなんて理解できないし、興味もないが、その凛とした柔らかな声は染み入るように心地いい。
好きだ、と改めて思う。いや、きっとずっと好きだったのだ。気付くのが少し遅れた。でも、今日気付いて、本当によかった。
臨也は振り返った。ゆったりと静雄の席に背を預けて、逆光に表情を隠しながら、口元だけが笑っていた。
「あの子、言ったでしょ。―――平和島くんが好きです。ほんとは優しい人だって知ってるから……私ならあなたから逃げないよ。だから付き合ってください――って。どう?キュンとしちゃったでしょ?君の無い物ねだりくらい、知り尽くしてるんだから」
あはは、と臨也は実に臨也らしく笑った。昨日まで、ほんのさっきまでは黒板を引っ掻く音より耳障りで、息の根ごと潰してやりたかったものだ。
静雄はゴクリと唾を飲んだ。
バキン、とひどい音を立てて、手を掛けていた引き戸がひしゃげた。後ろ手に閉めると静雄の荒らぶる感情そのままに、派手な音がする。廊下にかすかに響いていた喧騒まで消えた。満ちるニオイも目に映るのも耳に届く声すらも、世界には臨也と自分だけ。
「もう一回言えよ、クソノミ蟲」
臨也は形ばかりの歪んだ笑みを消し、ひびの入った戸を胡乱に眺める。
確かに静雄はそのセリフを聞いた。涙を目に浮かべた少女が、縋り着く声で言った。
けれど静雄には消え入りそうな涙混じりの声は全く聞こえなかったし、ふわりと風に遊ばれる長い柔らかな髪はただ一人のニオイだけを運んだのだ。
「ああ、俺の考えたセリフだから、腹が立っちゃった?でも彼女の本当の気持ちだと思うよ。俺はちょっと背中を後押ししただけだ。君みたいな化け物を好きだなんて言う奇特なやつは二度と現れないね。せいぜい、大事にするんだね。君が彼女を愛してくれれば俺もやりやすくなる。君は本当に鬱陶しい、彼女でも作ってとっとと俺の前から消えればいいんだ」
桜の下には既に、少女の姿はない。それでも臨也はそこを見続けていた。臨也ははっきりと見た。呆然と立ち尽くした少女が、やがて顔を覆って、暫くしゃがみこみ、やがて走り去っていく哀れな姿を。
静雄は臨也の座る席の後ろに立って、臨也の視線を追った。静雄は臨也が何を見ているのか分からなかった。
だってそこには何もないのに。――何も、なかったというのに。
「俺なんかを好きだとか言うバカは、手前だけだろ」
臨也が眉を寄せて、静雄を睨む。窓から入り込む風が、臨也の髪を揺らす。このニオイだ。間違いようのない、ただ一人の。
「俺はシズちゃんなんか大嫌いだ」
「俺も手前が好きだ」
先ほど自覚したばかりの想いを、約束通り臨也をしっかり見つめ、言葉にした。
臨也がひゅっと息を飲むその瞬間、常に彼を取り巻く得体の知れない柔らかいガラスのような壁が消え、完全な無防備になった心が見えた。
隙を逃すつもりはない。
静雄は一瞬、空っぽになった臨也を捕まえた。傷つけるつもりは全くなかったのに力を入れすぎたらしい、いたいよ、と臨也が唇を尖らせる。少し手を離すと、臨也が身を捩って逃げようとしたので、慌てて肩を掴んだ。
ぴくりとも動かせなくなった肩に、臨也は吹き出して笑った。

「全くシズちゃんは暴力ばっかりなんだから。君はホントに化け物だね。―――でも、俺は逃げないよ」









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