か く も 醜 い 麗 人



流血注意。


   顔だけは綺麗な奴だからねえ、と随分と前に新羅がそう言って笑ったのを、不意に思い出した。

――折原臨也は身体を売っている。

 高校の頃から、臨也にはそういった噂が付き纏っていた。入学したばかりの頃、まだあいつへの嫌悪が明確な殺意へ変わるより前には既に、そういう噂があるとクラスメイトが話していたので、中学の頃から言われていたのだろう。
 その時は、あんな奴に金を払ってまで、どうこうしようなどと思う物好きな奴がいるものかと、呆れただけだった。
 新羅が笑ったのは、そのときだ。臨也は、顔だけは―――…と言って。
 だけは、と言ったところに力が入っていて、あのノミ蟲が反吐のでるほどクソ野郎であることに関して、異論はないらしい。
「顔だけよけりゃ性格はクソでもいいのかよ。だったら人形と付き合えばいいんじゃねえのか」
「君にしては正論だ。顔がよければ何でもいいのなら、確かに人形と付き合えばいい。だから風俗店は繁盛してるし、ダッチワイフなんてものがあるんじゃないかな」
「ダッチ…?」
「君のその、見かけに寄らない純真無垢は、大事にしていいよ」
「…?」
「あー…つまりね、容姿端麗っていうのは、それだけでひとつの美徳であるということさ。無論、付き合うとなれば性格だって気になるだろうけど、純然な性処理が目的なら綺麗であるに越したことはないよ。まあ、僕は身も心もセルティのものだから、関係ないけどね!どれだけ才色兼備の人間がいようと、セルティの八面玲瓏たる珠玉の美貌の前には、霞んでしまうもの!」
 結局のところ、新羅は噂について否定も肯定もしないままだった。
 だからどうした。そんな胸クソ悪い噂が立つのは、臨也が普段から行いの悪いクソ野郎だからだ。
 歳を重ねて、俺はダッチワイフの意味を知ったし、臨也のようなクソノミ蟲に、いいところなどひとつもないということも、嫌と言うほど思い知った。

―――そして俺は今、手に細っこい首を力任せに掴んで、その中で苦しげに歪んだクソ野郎の顔を、観察している。

 こんなにもしっかりと臨也を捕まえたのは、初めてだった。いつだって臨也は、泥か空気のように、ぬるりと逃げていく。そのくせ、俺に絡みついて離れることのない、気持ちが悪いやつだった。
 何年も何年も殺し合って、一瞬だって頭から消えないほどに憎くて仕方のない臨也の面だったが、ぼやけるほどの近さで見るのは初めてなのだ。
(ただのノミ蟲じゃねえか)
 俺の感想は、ただそれだけである。
 目の前にあるのは、忌々しいノミ蟲の顔。それ以上でもそれ以下でもない。
 思い出すのは、学生時代のクソみたいな噂と、新羅のタチの悪い笑み。
 これが、綺麗なのだという。
(目と鼻と口がついてるだけだろ)
 ヒュウヒュウと痛々しい呼吸をか細く繰り返す顔は、真っ赤になって膨張していて、みっともないことこの上ない。こんなのがいいなんて言う人間がいるのかと、それだけでムカムカする。
 ガリ、ガリ、と臨也の握るナイフが手の甲を引っ掻いていた。猫の爪のようだ。
 もう息も絶え絶えだって言うのに、気丈に睨みつけてくる目は、俺のことが嫌いで憎くて殺したくて仕方がないと叫んでいた。
「は、なせ…ッ」
 ほとんど音になっていない。ただ、途切れ途切れの言葉に絞り出された僅かな呼吸は結果として自身を苦しめる羽目になったようで、臨也はカハッと血を吐くように咳き込み、閉じ切らない口から唾液をこぼして呻いた。
「死にそうだな」
 思わず笑うと、悔しげに顔を顰めてギラリと反抗的な光が目に宿る。光ったのは、涙だ。臨也の涙。血も涙もないクソノミ蟲だと思っていたから、鳥肌が立つほどに驚いた。
 浮いた雫の伝った鼻筋が、やけに気になった。クソ生意気な目と目の間から、すらりと伸びるラインは、美術の教科書に載ってるようなそんな作り物っぽさがある。この顔が笑いながら人を誑かすのだ。
 途端にイラッとして、くっきりとした凹凸の鼻に噛み付いた。
「――ッ!」
 ガチッと歯と骨が当たる音がして、臨也が声のない悲鳴を上げる。
 電気ショックでも受けたようにビクンと痙攣した身体が硬直して、指先が震えた。鼻の骨はどうやら折れたようで、食い破られた皮膚から血を滲ませたところは醜く歪んでいる。
「ひっでぇ、ツラ」
 思わず笑った。
 一瞬だけ手の力を緩めて僅かばかりの空気を送ってやると、ひゅっと喉の奥を絞るような音がした。
「シズちゃんも、サイッ、テーの顔…し、てるよ……化け物!」
 途切れ途切れの言葉で、それでも口元に笑みを浮かべて悪態をつく根性は、大したものだと思う。こいつにとって、呼吸とクソムカつく言葉は同じものらしい。ぐ、と力を込めると呻き声をあげて暴れ出す。
 ぎゃーぎゃーわーわー、犬みたいに吠える唇が、鼻から伝った赤い血にぬらりと光って、口紅をした女みたいだった。
 臨也にいいところなど何一つないが、その中でもこのくるくる動く喧しくて気色の悪いことばかり言う口は、最高に最低だ。
 睨み付けてくる目に映る俺は、臨也の言うとおり自分でも驚くくらいに凶悪なツラをしていた。
「言葉ってのは、伝達手段だろうがよ。伝達は正しくやらねえといけねえ。じゃあ、手前の嘘ばっかりの口は、口として間違ってるってことだろ。
 ―――…いらねえよなぁ?」
 臨也の目が見開かれるのと同時、俺はその不要な口に噛み付いた。
 グミみたいな弾力のそこはぶつんと切れて、口の中に鉄くさい味が広がる。キンキン尖った声でキャンキャン吠える口だから、きっと冷たくてかたいのだと思っていたが、柔らかくて熱を持っていた。
 べっと血をはき捨てて、臨也の顔をぼやけるような至近距離で見ると、信じられないという顔で目を見開いたまま固まった。さっきまで色を失っていた頬がほのかに赤いのは、痛みで血が頭に昇ったせいか。
 骨の砕けた鼻から血が溢れ、食い千切られた唇がぐちゃぐちゃになっている。
「お綺麗な顔が台無しだなぁ、臨也君よぉ」
 薄汚ぇ性根にピッタリの、汚ぇツラだ。
 腹の底から笑いだしたい気分だった。
 こんな血みどろでグチャグチャになってしまったら、新羅だって綺麗などとは嘘でも言わないだろう。胸クソ悪い噂も消えるに違いない。
 臨也はクソが付くような最低最悪なノミ蟲野郎で、いいところなどひとつもない。顔が綺麗だろうがダッチワイフだろうが、誰かに愛されるなんて許されない。
(誰もそれを分かっちゃいねえ!)
 こいつの本質を、最低最悪な中身をよく知りもしないで、顔が綺麗だとかふざけた理由で好きだとか勘違いしやがるクソッタレな連中が生きている。そして、そんな勘違いをさせる臨也が悪い。俺はそれが許せなかった。
 最悪なやつは最悪なやつらしく、誰からも憎まれて嫌われ続けていればいいのに。
 掴んでいた手をようやく離してやると、酸素を制限され続けた身体は受け身も取れずにドシャッと落ちた。
 ゲホゲホと咳き込みながら、苦しげな呼吸を繰り返す。薄っぺらな背中が、激しく上下を繰り返した。
 ぼたぼたと血のとまらない口と鼻を覆い、白い手が一瞬で真っ赤になった。その赤が苺ジャムみたいで甘そうだなどとネジの飛んだことを考える。
 やがてゆっくりと元の呼吸を取り戻した臨也は、わなわなと震えながら今までで一番死にそうな顔をして、上目遣いに俺を睨み付た。
 そして、血が入るのもかまわずに口をがっぽり開けて叫んだ。

「シズちゃんの馬鹿!
 俺、ファーストキスだったのに!!」

 口も歯も首筋もとにかくグロテスクに真っ赤にした臨也の顔が、更に耳まで染まっていく。透明な涙がぶわっと溢れだして赤く滲みながら零れ落ちていく。睨みつけてくる瞳もまた赤い。
 それらの赤に目眩がしながら、俺は思い出していた。
 たった今この手で顔をぐっちゃぐちゃにしてやったノミ蟲に、学生時代からまとわりついている胸クソ悪い噂と、当時肯定も否定もしなかった友人の笑み。
 そして俺の唇に残るのは、噛みちぎった臨也の鉄臭さと柔らかさと体温―――。
「俺のファーストキス奪いやがったな手前!」
 思わず叫んだ。
「俺の台詞だ馬鹿ぁ!」
 すかさず返された。
 ボンッ! と、頭から血が噴き出しそうなほどに、自分の顔が赤らむのが分かった。臨也の顔も同じだけ爆発していた。
「手前みたいなビッチと俺のファーストキスを比べるな!重さがちげえだろ!」
「誰がビッチだ! キスは特別な人とするものなんだよ。俺は人間が好きで、シズちゃん以外のみんなを平等に愛してるのに、キスなんかしたら不公平でしょ。そんなことも分からないの馬鹿なの死ぬの死ねばいいのに。俺の純情を踏み躙って、一生に一度の大イベントを台なしにしてくれた責任は、きっちり取ってもらうから!
―――レモン味になるまでやり直しを要求する!さもなくば死ね!!」
「俺の台詞だ!」
 俺は、血液混じりの唾を飛ばして意味不明なことを叫んだ臨也の頬をぶん殴り、血の味しかしないセカンドキスを捧げるハメになった。
 何故か俺の舌まで噛まれ、二人分の血の匂いに噎せかえる。
「クソ不味い」
 再び至近距離でみた臨也の顔は、鼻も口もぐちゃぐちゃで、目すらも真っ赤になって涙でぐちゃぐちゃだった。鼻水だか鼻血だか分からないものまで出ていた。その顔でまた笑うのだから、更に汚いものになる。
「俺の台詞だよ」
 ついでにサードキスも血の味だった。
 臨也は、性格も顔もぐちゃぐちゃな挙句にキスまで気色悪いなど、最悪の上にクソが付く野郎だ。
 本当にいいところなど何一つなくなって、もう嘘でもダッチワイフでも臨也を愛するやつなんかはいないだろう。
 俺は心から満足していた。


















ナチュラルに病んでる気がします。
ブラウザバックプリーズ
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