スルースキル



来神時代。
屋上で珍しくシズちゃん抜きでお昼ごはんの新羅と臨也、会話はそこそこするんだけどお互い携帯ばっか見てる。


「ねえ、新羅。俺、死ぬかも」
今日の夕飯はカレーにしよう、的な口調で臨也がぽつりと呟いた。
視線は携帯電話に。しかも二つを器用に片手ずつで扱って、同時にポチポチしながらだ。不穏である。
「それは赤飯炊かなきゃ」
新羅も同じく当然のように携帯電話から目を逸らすことなく、臨也の呟きと同じ音程で返した。
独り言がふたつあるような会話である。というか、会話なのかこれ。
「新羅が死ねばいいのに。いやいやマジ死ぬってこれ。やばいホントやばい」
 携帯を持つ手がぶるぶる震え出して、次第に青ざめていく顔に若干の恐怖を浮かべた臨也は、可哀想な子どものように膝を三角に曲げて座り直して自分自身の身体を抱きしめた。
 右手に持っていた携帯が、カシャンと容赦のない音を立てて冷たいコンクリートの床に落ちたが、臨也は気にしなかった。臨也が気にしないことを新羅が気にする道理はない。
「うん、君の頭はいつもやばい。君は静雄とは違う意味で殺しても死なないタイプだからねえ。君を死に至らしめる病があるならば是非知りたいよ」
新羅はその如何にも草食系のハニーフェイスに似合わず、意外と毒舌である。そして神経は太い。
だからこそ、臨也の友達を名乗れるのかもしれないが。
「シズちゃんのせいだ」
「ははっ、喧嘩の傷でも開いた?抉らせてよ」
「なんか胸が痛い。あと新羅は死ね」
「君にも良心の呵責なるものが存在していたということか」
「シズちゃんのことを考えると胸が痛い」
「やっぱり罪悪感だね。今、静雄が第二グラウンドに呼び出されているのも、君の差し金だろう?」
「その通り。確かに俺は3年の先輩を使ってあの化け物を第二グラウンドまで呼び出したし、先輩には改造エアガンを渡して殺し合いになるよう仕向けたとも。けれど、この胸の痛みは罪悪感なんてものじゃない。だって俺、悪いことしてないもん」
「ははっ、実に唯我独尊、何という厚顔無恥。お釈迦様も裸足で逃げ出すよ」
「ああなんだこの胸の痛み、頬の熱、頭がくらくらする、シズちゃんのせいだ、くそ、死ねばいいのに。どうせシズちゃんの圧勝だよ。だってあの先輩達じゃ役者不足だもの。また強くなってるんだろうなあ、ああ忌々しいあの化け物!なんだこれ、悲しくもないのに涙まで出てきた、胸が痛い、息が苦しい、シズちゃんのバカバカバカ!」
「恋じゃないのそれ」
ぽんぽんぽんと台本でもあるんじゃないかと思うくらい軽やかに交わされる会話は、しかしよく聞けば話が噛み合っていない。独り言が二つ。やはりそういう表現なのだ。
静雄が不在の理由はこれだ。昼飯時に喧嘩をけしかけられたのだから、きっとあの瞬間湯沸かし器みたいな男の不機嫌値はMAXを突き抜けたに違いない。昨日、一緒に昼食を食べたとき静雄にキレられて弁当をひっくり返されたことを、相当根に持っているらしい。臨也は猫のような気分屋だったが、こと恨み事に関して特に静雄に対しては、爬虫類のような執拗さでサソリのような毒牙にかけるのだ。とんでもないやつだ。
一番かわいそうなのは、巻き込まれた先輩やらその取り巻きやらである。
新羅の言葉に、初めて臨也が顔を上げた。今日の空みたいな鈍色に淀みきった眼だ。
「こんな血ミドロな恋があるかよ。新羅は馬鹿なの?」
すぐに視線は携帯に降りる。さっき落とした携帯は放置されたままだ。
「我が親友ながら、実に憎たらしいな君は。僕はセルティのことを考えると、生きてるのが辛いくらいだ。好きすぎて、ね。胸が痛いし、息がつまるし、頭がくらくらするし、意味もなく涙も出るし、1日中セルティのことで頭がいっぱい、今こうして学校にいる時間すら千秋の思いだというのに」
「なるほど、俺が今新羅ごときと話してる時間が惜しく感じてるのと同じ感じ?」
「遺憾至極ながら、そういうことだね。ああっ、セルティ!僕は今すぐに帰って、君の八面玲瓏、沈魚落雁、天香国色の微笑が見たい!顔なんてなくても!」
「そっかぁ、これが恋かあ」
「え?何?なんの話? 臨也、恋してるの?気持ち悪いよその乙女顔。眉目秀麗ならどんな顔でも許されるとか思わないでね。頬を染めるな」
雲行きが怪しくなってきた。話の流れも空気の流れも。
「あれ?でも俺、結婚するならドタチンがいいんだけど、そうするとシズちゃんは何?愛人?人を愛すると書いて愛人だけど、正直シズちゃんのことは愛してないなあ」
「うん、愛人は人を愛するって言うよりは愛する人だね。ていうか何、臨也、静雄に恋してんの?」
「新羅、おまえ適当に聞いてたね」
臨也だって新羅の話など、昨日の小テストより適当に流していた。なのに、いかにも理不尽にあいましたとばかりに拗ねた顔をするのが臨也である。
「だってセルティからメールきてるんだもの。やめとけって、静雄と臨也が付き合ったら、日本の国土が焦土と化するよ」
「ダメ?」
ことんと首を傾げる仕草がやけに子供じみてあどけないのは、わざとが半分、素が半分と言ったところだ。
「うん、ダメ。あと門田君も君の人生に巻き込んでやるなよ。あいつ、なかなか良い奴なんだから」
「え、やだ。ドタチンは俺のだもん。…………そっかぁ、シズちゃんはダメかぁ……」
無表情な声だったが、それに被さるように新羅が珍獣に遭遇したような声を出した。いや、首なしライダーが出没する池袋なのだから、珍獣を見たくらいでは新羅は驚かないだろう。
「うわ、なに?泣いてるの?臨也泣いてるの!?」
「泣いてない」
新羅が見た珍獣は臨也の泣き顔だ。驚くのは無理からぬこと。
何でもないように装って言うが、声がにとんでもないビブラートがかかっていた。
「せめて虚心坦懐、涙拭いながら言うくらいの気遣いは見せろよ。滂陀の涙ってレベルじゃないよ、ナイアガラだよ、だらだらじゃないか」
催涙スプレーでもかけられたように、瞬きをしない眼からぼたぼたと大粒の涙が次々に溢れていっている。唇を尖らせた臨也が泣いてないと言ったところで、これは反応に困る。
「だ、て……シズちゃん、俺のこときっと嫌いだ」
「そりゃあ因果応報って奴だ。仕方ないだろう。ていうか、君は静雄のことがホントに好きなの?」
「新羅がそういったんじゃないか」
「なに、僕そんな空恐ろしいこと言ったの。今是昨非、前言撤回してもいいかな」
「やっぱり適当かよ。知ってたけど。でも、想うだけで胸が痛くて涙が出て息が苦しくて生きるのが辛くなるなら、恋だよね」
「いやいや、妙な病気じゃないかと心配しようよ。たとえば恋のやまいとか……あれ?」
堂々巡りに至った会話に、二人で腕を組んで眉の動きまでシンクロさせながらぐいーと大きく首を傾げて、頭に大きなクエスチョンマーク…これは俗語だ、もとい大きな疑問符を浮かべる。
「やっぱり俺シズちゃんのことが好きなんだぁ…」
恋する乙女というより、家計の心配をするお母さんみたいな口調で臨也は頭を抱えた。その間もコンクリートの床にびちゃびちゃと零れ落ちるを通り越して叩き落とされていく水滴。空を見上げれば、圧し掛かるように重い雲はいつ最初の一滴を落とすかタイミングを待ちかまえていたが、まだ雨は降りだしてはいない。降り注いでいるのは臨也の涙だ。
「何で自分で納得して死にそうになってんの」
「当たり前だろ!だってあの化け物を!あの怪力馬鹿を!自動喧嘩人形を!この俺が!好きだなんて!驚天動地、奇々怪々、人類滅亡しかないじゃないか!俺は全ての人が好きなのに!シズちゃん以外!」
新羅に匹敵する四字熟語を並べ、ハムレットもかくやとばかりにきりきりした声で叫ぶ臨也の顔は蒼い。
「……俺はネットとか詳しくないけど、今なら言える。日本語でおk」
じゅう、とパックのフルーツ牛乳を喉に流し込む。ところで、フルーツ牛乳はもう使ってはいけない。JAS法に触れるのだ。確かに牛乳と呼んだら偽りだが、慣れ親しんだ名前そのものにも魅力があるというのに。銭湯で飲むのはフルーツ牛乳でなければならない。フルーツオレではダメなのだ。
「あああ、なんかくる、なんかくる!背中をぞわぞわさせるこの殺気!」
実は壁に耳を当てれば、遠くからカーン…カーンと階段を上るホラーじみた音まで聞こえるのだが、恐らく臨也の耳には届いていないだろう。
感じるか感じないかと言われれば、全く分からない。どっちかっていうと、臨也の今にも死にそうな顔のほうがよっぽど鬼気迫っていて恐ろしい。
吸い過ぎて新羅のフルーツオレのパックがベコッと潰れた。
「なに?静雄来るの?早いね、もう片付いたんだ。つうかよくわかるね、僕はさっぱり。まあ、覚悟を決めとけば?………生命の」
「いぃいぃいざぁああやぁあぁあくーん……」
鉄扉の向こうから階段室内に響き渡る禍々しい重低音。獣かよ。
「ああ、階段を上る足音、腹の底に響く声!なんだ、俺は今いらついてるのか?それとも恐怖してるの?それとも喜んでるの?よし、俺も男だ、腹を括るよ新羅」
臨也の百面相は見ものだった。真っ青な顔で頭を抱えて外人のヒステリーみたいな顔で泣きそうになったあと、演説家か宗教家のように芝居がかった手ぶりをつけて自問自答。そして、RPGの勇者のように拳を作って、決意にきらめく瞳。
「はは、ようやく死んでくれるの、ありがとう」
新羅は冷たい。
「どうしよう、こんなときどんな顔をすればいいのかな。笑えばいいと思う?でも涙がとまらないんだ。胸がきゅーきゅーするんだ。くそう、ドタチンなら、ドタチンなら何とかしてくれる!助けてドタチン!俺の癒し!お母さん!新羅死ね」
バスケ部でもなければお母さんでもない。
「門田君カワイソウ」
見事な棒読みだ。
と、そこへ曇天より重い色の鉄扉が開けられた。ギギギといつも通り悲鳴を上げる錆びた蝶番が無駄に空気を読んでいる。実に禍々しい音だ。
「臨也てめえ、またやりやがったなぁ……」
平和島静雄の登場である。
息を乱しながら、汚れているのは制服だけで、ところどころ赤いのは全て静雄のものではない。
チッと忌々しげに舌打ちをする臨也の顔が、嬉しそうなんだか悲しそうなんだか、とりあえず舌打ちとは不釣り合いだった。唇の端を吊り上げて、どこまでもうそくさい笑顔で、やたらに大きな笑い声をあげた。
「二十人の先輩相手にまさかの無傷!予想していたけど、やっぱりシズちゃんは化け物だ、そんな君に賛辞を送ろう」
「あぁ?」
大げさな拍手の音が空々しい。
もうこいつ役者になれよ。協調性がないのが玉にきずで致命傷だが。
臨也が大きく息を吸い込んだ。新羅は耳を塞いだ。そのあとに来る、大戦争の予感に頭を抱える。
肺いっぱいに貯め込んだ息が、

「好きだ化け物め!」

明後日の方向に飛んで行った。
「臨也ぁああ!!!!?どうしたの、ネジ取れた!?更に取れたの!?もうスッカンスッカンなの!?静雄、あのこれはね、」
新羅は毒舌だが苦労性だ。
怒りのままの表情をそのままビキリと固めた静雄は、当然のリアクションだった。
やがて新羅が何か喋ってるうちにゆっくり呼吸を取り戻した静雄が、これまた深々と息を吸い、

「俺もだクソノミ蟲がぁああ!!」

池袋が逆立ちするようなことを言いだした。
明日、地球がなくなっていたら、こいつらのせいだろう。
ひたすら臨也の独り言に付き合い、盛大に周囲を巻き込んでおきながらこの顛末。
座ったまま尻を動かして新羅が少しずつ距離を取っていることに二人は気付かず、好きだと言ったその舌の根も乾かぬうちに片手にもぎとったフェンスを持った静雄とナイフをつきつける臨也を中心に、世界がくるくる回っていた。
「勝手にしろよおまえら二人揃ってウザいとかなにこれセルティ助けて愛してるよ」
高校生にあるまじき生気の抜けた声で、新羅は冷やかに笑った。




END


こっそり影になってるところでドタチンが聞いてればいいなと思う。

ブラウザバックプリーズ

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