ある日のこと、可愛い彼女との同棲生活にリアルが充実しすぎて爆発しそうな闇医者のもとに、一人の旧友が訪ねてきた。 闇医者の旧友はいつになく真剣な眼差しで、いつになく鬼気迫るため息をついた。 「なあ新羅、頼みがあるんだ」 「なんだい静雄、いきなり改まって」 旧友は、言いにくそうに頭を掻いた。 「………ムカつく奴を殴らずにすむ薬とかねえかな」 金髪を撫でつける手が、僅かに赤かったことには気づかないふりをしよう。 闇医者はシンデレラに出てくる魔法使いのような顔で笑った。 「そうだね…じゃあ君が匂いだけキレそうになる人間を、思わず抱きしめたくなる魔法を、君にかけてあげよう」 白衣から覗くその手には、糸に吊るされた五円玉が、ふらりと揺れていた。 愛 し の マ イ キ テ ィ 静雄は猫を拾った。まだ小さな子猫だった。 柔らかな艶のある夜色の毛並みはふわっふわのさらさらで細身ながらも貧相な印象は与えなかったが、首輪もしていないので恐らく野良だろう。 全く人に懐かず、警戒心も露わに睨みつける赤の瞳には吸い込まれそうな透明感があり、宝石のようにきらりと光を弾く。長くピンと伸びた尻尾は、くるりと先端を鍵状に曲げている。妙に艶めかしい。 静雄は猫の美醜なんてものはさっぱり分からないが、それでもしなやかで堂々とした細い身体とか、つんと尖った小さな鼻とか、猫とはこんなに美しい生き物だったのかとびっくりした。 今まで見てきた、池袋の路地裏でゴミ箱の中を漁る猫たちとは、まるで違う。 一目ぼれだった。気がつけば、家に連れ帰っていた。猫でなければただの誘拐だ。 犬か猫かと問われれば、静雄は犬派だと即答する。もちろん、猫だって可愛いと思う。弟の愛猫(独尊丸)を見てほんわかと癒されるくらいには、猫も好きだ。 ただ静雄は自他共に認める短気な性格のため、気まぐれに寄ってきてはこちらが構うと逃げる猫特有の奔放さがどうにも苦手だった。飼うなら、よく懐いて言う事も聞いてくれる犬がいい。―――と、思っていた。数時間前までは。(倒置法) 柔らかな耳を触ると、にゃーにゃー鳴きながら全身の毛を逆立てた。喉元を指先でこしょこしょすると、ぴくんぴくんと跳ねるちっさな猫背。 こじんまりした身体で精いっぱい無駄な抵抗をする姿に、きゅんとした。 猫は可愛い。可愛いは正義である。結論、猫最高…! 怯えて毛を逆立てて威嚇する爪すら、静雄にとっては羽根が触れるようなもので、愛おしくてたまらない。 俺がこいつを育てる。こいつのために俺は生きようじゃないか。静雄は誓った。 もうデレッデレに緩んだ顔で、手に持った「それ」をそっと子猫に差し出してやった。 コトン。 臨也は顔を真っ青にして思わず後退りをした。 目の前に差し出された、白濁の、ちょっとどろっとした液体………牛乳だ。 いや、牛乳はいい。日本人の多くは乳糖不耐症で腹を下しやすいというが、臨也は牛の乳に負けるほど柔な身体はしていない。朝食にザクギリリンゴをぶち込んで食べるヨーグルトも大好きだし、寝る前にはホットミルクを嗜むことだってある。 牛乳ラブ!俺は牛乳が好きだ、愛してる!……とまでは言わないが、ライクくらいには分類してもいい。牛乳は、好きだ。 底の浅い器に注がれて、床の上に置かれたりしなければ―――、の話だが。 「シズちゃん…これを俺に飲めと?」 臨也はぶるぶる震える声で聞いた。 どんなマニアックプレイだ。数多の人間を観察してきて、SMクラブの女王様をやっている知り合いだっているけれど、臨也にそれを喜ぶ趣味はない。 静雄は臨也の頭を撫でて、にこりと笑った。 「腹減ってるんだろ。遠慮すんなよ」 猫の子を撫でるような掌に、ぐらりと目眩がした。 にこりと笑う金髪イケメンに、脅迫されている気がする。これに口を付けなければコロス☆そんな声が聞こえそうだと思ったが、目の前の静雄が浮かべているのはひたすら慈愛の眼差しだ。それが余計に不自然だ。 今この瞬間、静雄の目に映るのは臨也ではなかった。―――静雄の目には、臨也のことが猫に見えているらしい。 猫の子を撫でるような掌は、正真正銘、ただの猫の子を撫でているだけなのだ。本人はそのつもりでいる。 臨也はいつもと同じ、人ラブでシズヘイトな折原臨也だ。狂っているのは静雄のほう。 池袋の路地裏で捕まったと思ったら首根っこを(正確にはコートのフードを)持ち上げられて、おまえ美人だなあとほれぼれと馬鹿げたことを言った瞬間から、静雄はおかしい。 おかしいのは静雄だけで、静雄に担がれて運ばれたときに向けられた周囲の視線は、刺さるように痛かった。みんなの目には、臨也は臨也として映っている。暫く池袋の表は歩けない。 冗談じゃない。 臨也はそっぽを向いて、床に置かれた器から眼を逸らした。静雄がしょんぼりと肩を落としているのも、見ないようにした。 「おまえなあ、何も食ってねえだろが。だからそんな細いんじゃねえの?」 人間であれば(臨也であれば)、頭蓋骨をミンチにしているところなのだろう。猫だと思い込んでいるからこそ、静雄の手は臨也の眉間をこちょこちょと擽るだけだった。ぞわぞわと背中を駆け抜ける気持ちの悪い電流。 「余計な御世話だよ。だいたいこれでも俺はスタイルには気を使ってんの。って、え、ちょ…ま、っ!」 静雄は何を思ったか臨也の身体を抱き上げた。胡坐をかいた膝のあいだにストンと細い身体をおろして、背中を片手で支える。 意外なほどに温かい身体が密着した。途端、カァアアっと顔が燃え上がるように血の気に染まった。ひぃっと喉から絞るような声が出て、いろんな感情が溢れた。屈辱からか、怒りからか、羞恥からか、嫌悪からか、既に分からない。全部だろう。 「手前はホント、手がかかるなあ」 嬉しそうに言う静雄。赤らめた顔が凍りつく臨也。 片手で臨也をしっかりとホールドしながら、もう片手の指先を牛乳に浸して、それを臨也の唇にあてて来た。 瞬間、臨也はぎょっとした。ガチッと歯の根が合わない音がした。 嫌な予感がする。 嫌な予感しかしない。 予感じゃない! 「いやいやいやそれはない!ないからマジやめて、気持ち悪い!シズちゃっ…――んぅ!」 静雄の指を、口の中に押し込まれた。ふわりとした牛乳の甘さが少しした直後、人間の皮膚の味が刺激する。しょっぱくて、少し苦い。 舌をぐにぐにと擦るように触られて、涙目になる。 「ふ…ぅあ!」 すぐに指は抜けて行って、ほっとする間もなく再びまた甘さの滴る指が押し込まれた。 喉奥を擽るように口の中をくちゅくちゅとこねくる。舌を指の腹で撫でられ、込み上げる吐き気に声にならない嗚咽が洩れた。 は、ふ、と絶え絶えの呼吸が隙間から零れて、これがマジで猫だったら死んでるぞ動物虐待よくない実によくない!などと考える臨也はこんらんしている。 抜け出ていった指から、透明の糸がつぅっと繋がっていた。死にたい。いや、殺したい。 しかも静雄は臨也の口に含まれていた指を、当たり前のように舐め取った。臨也は意識が遠退きそうになった。いっそ気絶できればどれだけ楽か! 「子猫用の哺乳瓶とか便利だよなぁ。幽、持ってねえかな」 牛乳に触れた指先が唇にあてられる。 「―――ッ!」 あまりの悔しさに、臨也はその指に噛みついた。感情に任せて勢いよく歯を立てたので、臨也の顎のほうが痛んだ。静雄は僅かに目を見開いただけで、ちっとも痛がるそぶりを見せない。 一瞬だけ浮いた赤い滴は既に消えている。化け物め。 静雄は怒ることなく、それどころかにっこりと電気の付いたような明るさで、笑った。 「そんなに怖がらなくて、いいから。な?」 犬科の猛獣みたいなツラをしておきながら猫なで声を出し、頭を撫でたかと思うと首筋に頬ずりをしてくる平和島静雄。―――怖くないわけがないだろう! 臨也が怖いのはそれだ。殴られる恐怖より、得体のしれないものに取り憑かれたような静雄の優しさが怖い。臨也の知らない静雄が、怖い。 身体をガッチガチに堅くして、精いっぱいの威嚇の姿勢を取って睨みつけた。 「いくら猫相手だからって、キャラ崩壊激しすぎじゃないの。喧嘩人形のプライドとかアイデンティティとか、そういうものはないわけ!?」 通じないと分かっていても、黙れるわけがなかった。回された腕に爪を立てる。 逃げようともがく身体を、静雄の持てる最大級の優しさと最小限の力が、そっと抱きしめるのだ。気色悪い、気色悪い、気色悪い! 猫を相手にしている割に、時々人間を扱うような手つきをする矛盾も、静雄にとっては猫を掴むのも人を掴むのも腕力的に大差がないから、気付かないのかもしれない。 今は静雄の目に臨也が猫として見えているが、もし臨也が臨也にしか見えていなくても、静雄は猫と同じくらい簡単に臨也を扱えるのだと告げられているようだ。結局、勝てない。 悔しくてムカついていた。 そして多分、悲しかった。 (俺が猫に見えるくらいで絆されやがって!騙されやがって!) 臨也は臨也で何一つ変わらない。猫だろうが人だろうが、臨也が臨也としてそこにいるなら、静雄は嫌い抜くべきなのだ。だって、そうじゃないと不公平じゃないか。こんなにも静雄を嫌いぬいている自分が、馬鹿みたいじゃないか。 「ホンットに懐かねえなぁ」 「懐く? 馬鹿じゃないの。どうして俺が化け物に懐かなきゃいけないの。シズちゃんの手が触れてると思うだけで気色悪い。離して…って言うか死ね。お願いだから死んでよマジで」 臨也の精いっぱいの悪態は、静雄にはどう届いているのだろう。簡単だ。にゃーと響いて、みゃーと届くのだ。 静雄にとって、臨也は今ただの猫でしかない。 臨也がどんなに静雄を憎んでいても、どんなに静雄の大嫌いな理屈を並べても、その言葉の欠片すら今の静雄には届かない。 ボールを弄ぶみたいに、臨也の身体を腕の中でモフモフする。そのくせ、紙風船を割らないように細心の注意を払った手つきで撫でてくる。 そして、いやだいやだと首を振ってもぞもぞと身体を動かす臨也に、静雄はようやく合点がいったという顔をした。 それはなにひとつ、臨也の救いにならない。 「手前、」 嫌な予感リターンズ。 「やめろ待て何も言うなシズちゃんちょっと眼球取り替えてこいそれから人語を理解する脳みそを買ってこいお願いしますかってきてくださ」 この時の臨也は、生まれたての子猫の如き心情だった。生まれたての子猫が生まれて初めて見たものは狼でした、というような、絶望的な気持ちである。 臨也の話なんか一度だってまともに聞いたことはなかったし、すぐに暴力に走る忌々しい男だったけれど、言葉を聞かないことと言葉が通じないことは似て非なるものだった。この時ほど、切実に静雄と話ができないことを恨んだ瞬間はない。 静雄には、臨也の言葉も身体の震えも恐怖も、欠片さえ理解できていなかった。臨也の身体を猫のように、ぷらんと持ち上げて臨也の瞳を見つめながら困ったように笑う、生涯の宿敵。 「何だ、手前。トイレに行きたかったのか」 暗転。 猫を飼う、というのは思った以上に大変だった。飼うなら犬がいいと思っていたが、散歩も躾も必要ない分、犬より猫のほうが世話は楽なのだろうとも思っていた。 けれどそんなことはまるでない。この黒猫が生後どれくらいなのかはわからないが、ミルクひとつ飲ませるにも、トイレを教えるにも手が掛かって仕方がない。もちろん、何一つ嫌ではない。 むしろ、こいつには俺がいないといけないのだと、何から何まで世話をしてやりたくなる。これが愛だ。人間が人間に向けるものではないけれど、静雄は愛を知った。 明日には猫の飼い方の本を買ってこよう。もしかしたら弟が持っているかもしれない。 本当に、本当に大切にしたいと思う。 飼うなら犬がいいとずっと思っていたが、だからと言って犬を飼おうと思ったことも本当は一度もなかった。きっと壊してしまうのだろうから。 静雄は自分の身体や力が、時として自分の意思を裏切るものであることを、よく知っている。 優しくしているつもりなのだが、やはり自分は何かを間違えたのだろうか。子猫はすぐに部屋の隅に逃げ込んで背中を向けて、怯えたようにぶるぶると震えていた。 (トイレの仕方がまずかったか…?) どうしようもなく不安になった。猫でも犬でも子どものうちは上手にトイレができなくて、ミルクを飲んだ後は下腹部や肛門を刺激しないと聞いた。独尊丸がまだまだ一人で歩くのも下手だったころ、幽が丁寧にやっていたのを思い出したのだ。 優しく、優しく触れたつもりだ。ビクンと跳ねる身体を抱きしめて、けれど潰さないように、守りたい気持ちをただただ籠めて、触れたのだ。 それでも子猫は暴れたし、痛々しいような声で鳴いたし、解放した途端に静雄から逃げて部屋の隅で丸まっている。 拾ったときから全く人に懐こうとしない猫だったが、人に何か虐待をされたりしたのかもしれない。それにしたって、どんなに静雄が心を砕いても少しの緊張も解いてくれることはなく、悲しくなった。 恐れさせてしまったのだろうか。やはり、どこか傷つけてしまったのだろうか。 どんなに優しくありたいと、静かに平和に生きたいと思ったって、この身体はそれを許してくれはしない。 例えばとてもとても愛しい人がいたとして、その気持ちのままに力強く抱きしめれば、それだけで愛しい人は死んでしまう。思う存分に愛することなど、できないのだ。 罪歌の一件があって、少しだけ自分を好きになれるかもしれない…少しだけ人に優しくできるようになったかもしれない、と思えたというのに結局これだ。忌々しい身体。思い通りにならない力。 ―――シズちゃんは暴力だけの化け物なんだから。 昔、そう言って静雄のことを笑った男の顔が浮かんだ。十年近くも殺し合って、今なお殺し合いを続けている、宿敵であり天敵だ。 静雄はいつもそれを否定している。自分は静かに暮らしたいのだと。暴力など望んでいないのだと。 でも違う。本当は分かっている。どんなに静雄が平和とか優しさだとかを望んだって、この身体が暴力で出来ているのだ。 目の前の小さな背中が、それを物語っている。 柔らかく響く声のナイフのような鋭い言葉が、耳の奥にガンガンと響いた。本当は、優しくしたいのだ。ムカつきたくなんかないし、キレたくもない。 だって静雄は、たしかに化け物みたいな身体だけど、ただの人間の心しか持っていないのだ。それも、ただの人間以上に繊細かもしれない心である。 激しいジレンマの間で、静雄はいつだって誰かを抱きしめたくて仕方のない手を、ひたすら握りしめて孤独の中にいた。 そして、ぶつかり合う化け物と人間の身体と心に挟まれて擦りきれた心の苛立ちを、この世界でただ一人、静雄を化け物だと面と向かって言う最低最悪な天敵にぶつけては、おまえのせいだと全てを押し付けるくせがついていたのかもしれない。 「なあ、俺は手前を守りたいって思ってんだ」 静雄のことなど大嫌いだと全身で告げる小さな背中を悲しげに見つめ、降り注ぐ雨のように呟いた小さな声は、誰に向けたものだろうか。 赤い煽情的な瞳が、揺れる。 守りたいだとか、どの口が言うのだろう。 臨也は静雄から充分な距離をとって膝を抱え込み、背中を向けながらも背中に受ける視線の一挙手一投足に鋭敏過ぎる神経を張り巡らしていた。 赤みがかった臨也の瞳は、泣き腫らしてぽってりと熱を持ち不自然に赤く染まっている。屈辱、恥辱、死にたいような悔しさと切なさが、一斉に臨也を襲っていた。 悔しいと思うだけのプライドなら、欠片ほど残していられたが、静雄を殺すより自分が死にたいと願ってしまった。 聡明すぎる頭はどんなに爆発しそうに混乱した頭でも、与えられた屈辱を忘れはしないし、未だに身体が鮮明に感覚を残している。思い出すまでもなく、身体から震えが消えない。 静雄も、ようやく臨也が(猫が)嫌がっていることを感じたらしく、距離を取った状態から話しかけてくる。 「手前が人間にどんな仕打ちされたかは知らねえけど、俺は手前を傷つけるようなやつらとは違う」 じゃあ死んでよ。俺を殺そうとしてるのは君だろう。いつだって。 「手前は俺に甘えていいんだからな」 脳みそプリンで出来てるやつに言われたくないね。甘ったれてるのは君だろう。化け物の癖に。シズちゃんの馬鹿、死ねよマジで死ね、俺のシズちゃん返せよ偽シズなんか死んじゃえ。本物は俺が殺すけど! 全部言葉にしたけど、全部静雄にはニャンニャン甘える猫の声でしかない。 「手前だけは、俺を嫌わないでほしい」 俺が嫌いなのは、君だけだよ。 静雄の声は、縋りつくような切実な響きを持っていた。触れたいのに触れられない、そういう女々しい躊躇いが見え隠れする大きな手が、ひたりと床をさ迷う。 そんな声の静雄なんか知らなかったし知りたくもなかった。 静雄はいつだって暴力が嫌いだと言っているが、そんなものはないものねだりと言うもので、平和島静雄は暴力を固めて作った化け物だ―――臨也は、心からそう思う。 そして人間らしく振舞おうとしながら、臨也の前では一度だって人間であろうとしたことがない。怒りにまかせて躊躇いなく道路標識は引き抜くし電柱すら折る、化け物らしく臨也を殺そうとしていた。 だからこそ、人間すべてを愛している臨也であっても、唯一大嫌いな静雄を安心して嫌い抜けていたのだ。 臨也に優しい静雄など、世界が狂った証しだ。世界が狂ったなら、臨也だって狂ってもおかしくなんか、ないのだ。 むしろ、狂わねば生きていけない、そういう心境だった。 どう抗っても抜けられない力に雁字搦めにされて、己が本当の猫であればきっと今のこの状況は幸せなのだろうなどと、考えてしまったのがいけなかった。 首を絞め殺してやりたい、という気持ちのままにその手首に指を絡めて握りしめた。静雄の目にはどう映っただろう。 抱きしめる腕が、答えだった。 静雄は感極まっていた。細く艶めかしい尻尾が、するりと手首に巻きついている。慰めるように、愛していると告げるように。 きゅうんと胸が締め付けられて、じんと瞼の奥が熱くなった。叫びたいような衝動と、呼吸もできない切ない熱が、頭のてっぺんから爪先まで沁みてくる。 壊してしまうかもしれない、という恐怖はもうなかった。だってこんなに愛しいのだ。力いっぱい抱きしめたつもりなのに、少しも力なんか入っていなくって、真綿を包むように小さな身体を抱きしめた。 壊したくなくて、愛せなかった。 でも、愛していると本当に本当に強く思えば、壊すようなことなんてないのだ。 この小さな命を思う分だけ、この小さな命のための腕になる。暴力を奮うしかできなかった化け物じみた腕が、猫を抱きしめるためだけの腕になったのだ。これが、子猫を抱きしめる全力なのだ。 途端にニャーニャー騒ぎながら暴れ出したが、もうお前の気持ちは分かってる!ただの照れ屋で、ただの天邪鬼なのだ。猫ってそういう生き物なんだろう。 「ははっ、ニャーニャーうるせえな。―――臨也みてえ」 そう言った声は嬉しそうでもあり、世界で一番ムカつくはずの名前を紡いだというのに、なんだか温かい気持ちになった。臨也は猫に似ている。そう思ったら、臨也でさえも抱きしめてやれそうなほど、静雄は愛に満ちていた。 その名前を出した途端、猫はぴたりと抵抗をやめた。どうやらその名が気に入ったらしい。 静雄は猫に「イザヤ」と名前を付けて大切に飼い続けることにした。 池袋に喧嘩人形の異名がただの伝説と化するまで、そう時間はかからないようだ。 END 猫の日にうpりたかったとかね、そんな馬鹿な。 暗転部分(お下劣です) ブラウザバックプリーズ |